040524(てぃき)旧4,8、中潮、日出5:27、月出9:09、白雲

このところ、来客の歓迎会が続いている。
22日(土)は、深(ふかし)康博夫婦が、鹿児島から。
ふたりとも、藤井さんの「道の島社」時代に働いていた。
藤井先輩の余命がない。見舞い客が内外からおとずれている。
いつもワンのそばにいた藤井勇夫は、奄美の住民運動のシンボルだ。
その夜は、奄美青年同盟のメンバーがあつまった。
居酒屋「誇羅司屋」に前平、森、重井、森などの各氏。
みんな五十歳前後だ。
ワンは70年代の当時はフ〜テンで、枝手久闘争時代は「旅のモン」。
80年に奄美に帰ってきてから、「奄美を考える会」や「海辺を守る会」・「環境ネットワーク奄美」・「明日の奄美を拓く会」・「まちなみを守る会」・「拝み山ルートを考える会」・・・などの立ち上げに参加してきたが、戦後奄美の住民運動の歴史からみれば、新参の後続者にすぎない。
でも、「いま、ここの暮らし」の中で、個々の諸問題と戦ってはいる。
いきるために大切なことからにげないこと、それが一番。

23日(日)は、深夫妻と大笠利へ。
康博とワンは、幼いころからの近所ともだち。父親同士も同窓生。
そして夫妻とも鶴丸高校のワンの後輩。
ふたりは広島大学の生協で知りあい学生結婚。
一度は離婚したが、よりを戻して再婚。28歳の娘がいる。
ヤスヒロは笑いを呼ぶ性格で、みんなの人気の的。
きのうも、コニヤから平順一郎が笠利町までおっかけてきた。
彼も奄青同の同志で、嘉徳遺跡を発見した考古学者。
ワンのトゥジがなしと下の娘がなし二人も土盛で合流。
計7人で、大笠利の「代官屋敷」や、岬や墓地で楽しくすごした。
大笠利の港の横にある川をわたった岬はすごい。
原始古代の風景がてつかずのままのこっている。
三度ほど川をわたったが、いつもゾクゾクする磁場だ。
帰りに龍郷町の「ビッグ2」にたちよったが、車と人の多さにこれまたびっくり。
世の中の流れに名瀬市の中心商店街もとりのこされるのか?
いや、まちやみせにはそれぞれに長短がある。
市街地の長所を活かすまちづくりこそが、いきのびる道である。
ヤマト的広い道路と駐車場、その対極にあるシマらしいまちづくりをめざそう!

*今日のカテムン(オカズ)
「運命は決まっているけど、人生は決まっちゃいないよ!!」
(コミック「死神くん」のえんどコイチ)

040521(くがに)旧4,3、中潮、日出5:29、月出6:36、灰雲

あまみ庵の店頭にいると客がよくくる。
きのうは、鹿児島から橋口さんと続(つづき)さん。
藤井勇夫アニが鹿児島で出版・印刷で活躍していた時代の従業員たち。
橋口さんは、合鴨農業や無農薬農業の鹿児島の代表者。
続さんは、隼人町の議員で、全国のローカルパーティの組織化や、現在は、夏に10人が出馬する「みどりの会議」(代表中村敦夫さん)の参議院選に向けてとりくんでいる。よしっ、参議院はこの政党でキマリ!

一昨日は、彫刻家の栄利秋さん。
奈良の大学を退官して、出身地請島の池地小学校の同窓会出席のため。
利秋さんは、個展は幾度もしたし、島尾敏雄の文学碑なども手がけたが、なんだか、昔に比べて、覇気がない。
芸術家が経済のことばかりいうと、なんだか作品までつまらなく思えるものだ。
シマンチュ本来のムンヅクリにもどってほしい。

オキナワのメーリングリストOBKに職場復帰の第一声を書いたら、多くの友人たちから激励と、回復の喜びのメールがつぎつぎとまいこんできた。
感激して読んでいる。言の葉には、言霊が、唄の葉には唄魂があり、元気をいっぱいいただいている。やる気がでてきた。これを読んでいるみなさん、これからもよろしく。


040518(みず)旧3,30、大潮、日出5:30、月出4:44、くもり

昨夜17日は、歓迎・交流会。
古仁屋小中学校の同窓会に帰郷した、大阪からの栄 篤志(あつし)さん。
藤井勇夫アニのみまいに来島した、徳之島からの福本洋子さん。
迎える大島側は、枝手久闘争時代の同士、新元博文と前平彰信。
大島の住民運動の中心的存在、薗 博明と瀬戸内町の義 富博。
この会の段取りをした佐竹京子とワン。
一次会は「食田」。
話は尽きず、二次会の「いずみ」へ。
ワンは一年ぶり。やはり、ここが一番おちつく。
あまみ庵OBの水間忠秀くんもいて、精進著しいシマウタでウタアスビを。
特に、栄 篤志(あつし)さんのサンシンと声のナグルシャにはブンヌケがたった。
栄さんは、中学2年でシマをでて大阪くらし。
しまぐち、しまうた、しまをどりをシマにいる吾きゃぁのだれよりも体得している。
はずかしきことしきり。
カマチ(知)ではなく、もっとドぅ(身体=自分)でシマの表現を!

*今日のカテムン(オカズ)
「悪口も冷静に吟味してみたら、そこには必ず教訓がある。」(横のカレンダーから)
肝に銘ずべし。


040516(てぃだ)旧3,28、中潮、日の出5,31、月の出3,44、天晴れ

昨夜15日は、新築祝い。
龍郷町は浦の内海ぞいに赤瓦と白壁、地中海風の異邸が出現。
敷地370坪、建坪57坪のゆとりの設計。
施工者は62歳の和田さん、年少100億円以上の実業家。
その奥さんはワンの東京フーテン時代に一番お世話になったマサコ姉さん。
あのころは、ワンのいとこの恭三アニと長くつれそっていた。
アニと別れても弟のようにかわいがってもらっている。
かれこれ、36年のおつきあいだ。

おふたりの本拠地は東京の新宿。
北海道の千歳にもマンションを購入している。
その理由がイカス。
桜前線は時速30キロ。春は奄美からそれにのって北海道まで。
秋は紅葉前線にのって北海道から南下する、渡り鳥くらし。
去年の5月、奄美の地鎮祭を終えて、心臓や白内障の手術を6回受けての入院と療養生活が一年間。死を経験してきたらしい。
一年ぶりの再会。
ワンのこの一年間とちょうどとダブる。
生き返ったもの同士の連帯感。

パーティーは、ばしゃやま村で。
奥篤二社長夫妻も臨席。
身内だけ20人ほど。
帰りに美智子がなしとワンふたりだけ新居に寄り、くつろがさせてもらった。
おぼこりだりょん。
龍郷、笠利方面のドライブの愉しみがひとつふえた。

今日16日は、おふくろを徳州会・名瀬病院に。
先週、血便が出たので、大腸の内視鏡検査のため。
検査をするまえに、下剤を大量に飲んでの排便作業がオッカンにはきつすぎて、結局は、ギブアップ。主治医の方針にギモンあり。

同病院に入院中の藤井勇夫アニをみまう。
あと「一週間が山場」という(母と同じ)主治医の予言は当たらず、いたって元気。
おいおい、徳州会、「OO造って××容れず」だぜ。
それに徳田虎雄理事長自身の心身もアブナイ。
奄美の地方選挙でも保岡波と呉越同舟、同床異夢でナンセンスのテイタラクだ。
結局、保徳戦争ってなんだったのか。
誰のためのイクサだったのか。
徳田虎雄の化けの皮ははがれたり。
保岡興治も以下同文だ。
*今日のひとくちカテムン(オカズ)
「人間の命が大きく豊かになるということは、それは、ただ単純に生きる、ことが難しくなるということだ」(ギュービックー )金 時鐘講演『私の日本語 私の朝鮮語』より。


040513(き)旧3,25、長潮、日の出5.33、月の出2.15、入梅

奄美は去年と同じ日に梅雨入りとなった。
夜は猛雨。水のメグミ。
昨夜12日は、蘇(いける)喜世志・恵子のトゥジュトゥ(トゥジ=婦&ウトゥ=夫)が遊びにきて泊まっていった。まれまれだ。長〜い友人たち。
一昔まえには、みんなでコンサートを企画してよく遊んだドゥシ(同士)だ。
三上寛、http://music.goo.ne.jp/artist/ARTLISD1000865.html
大塚まさじhttp://www.rengo-net.higashinada.kobe.jp/masaji/
下田逸郎http://www.amelio.co.fm/shimoda/
加川 良http://www.nnc.or.jp/~syouji/ryo/
高田わたる(公式ホームページなし!)
風太郎&ダダチャイルドhttp://www.popoya.net/top.htm
友部正人http://welcome.to/tomobe
そのほか、琉球舞踊・フラメンコ・詩の朗読・紙芝居・前衛舞踏などなど・・・なつかしい・・・

ふたりは1970年代の後半に世界一周したあと、1981年、(カレラととワンはインドで1980年にnニアミスしたのだった)奄美にもどり(ワンは1980年)、
現在、双子を含めて五男一女を育てている。

上が早稲田の)4年、下のうみえ(海恵)が赤徳中学の1年生。
来春には、大学生ひとり、高校生ふたり、中学生ひとり、4人の男子たちが一斉に卒業とのこと。
子育て真っ最中だが、わがやも四人。
たがいに今が一番大変、その分こころの楽あり。
早朝、5時半起床。
コーヒーをすすり、龍郷町ホーゲ(赤尾木)のホシクボ(星窪=隕石落下地)に笑顔で戻っていた。
山のクッカル(赤しょうびん)やメジロなどの野鳥たちが大声で合唱。
日々これ好日。

*今日のひとくちオカズ

「世界人口の半数以上がまだ電話も使った経験をもたない現実を忘れないこと――」(星川淳の「屋久島インナーネット」第一回「5万年の現在(いま)」から)
http://hotwired.goo.ne.jp/ecowire/hoshikawa/001011/index.html

040512(みず)旧3,24、小潮、月の出1,39、入り12.41、くもり

午前、藤井さんを名瀬病院に見舞う。
きのう、16時ごろ体液を2リットルほども嘔吐したらしい。
水がたまってきたのだ。末期。
「つらい・・・」ともらす。モルヒネが効かないのだろう。
やせこけて全身これ黄疸。入院してまだ一ヶ月というのに。

おもえば、去年の6月11日は、ワンの口腔がんの手術の日だった。
口の中にできた口内炎の大きめなものががんだった。ステージは2〜3期。
国立がんセンター東病院での術後、2日間は呼吸困難で死にそうだった。
6月13日(金)、急遽、のど仏(気管支)の切開手術で、イノチをひろってもらった。
あれから、一年間、4度の入退院をくりかえしてきた。
チバ、オキナワ、アマミ&アマミ・・・各病院で一ヶ月ほどずつ・・・。

なんとかこうして半年の生存はクリアーできた。
一年の生存も目の前だ。
次の目安は3年目。
今のところ、再発や転移の予兆はない。
県病院での月一回の検診も異常なし。
でも、油断は大敵。
こころして、歩むべし。
一期一会の旅の宿がつづいている。

*今日のひとくちオカズ
「ワッショイ、ワッショイ」は、朝鮮語で「来ました、(カミさまが)来ました」。
朝鮮語で「モリ」は「頭」のこととか。なるほど・・(?)・


040511(ひ・旧3,23・・小潮・月の出0,58・月の入り11,37)

きのう10日は、「南方新社」代表の向原さんが来島。
「道の島」社主の藤井勇夫アニが、膵臓がんで危ない。
鹿児島から見舞いに。
藤井さんの自伝執筆用原稿料に30万円と50万円を前払い。太っ腹。
でも執筆はいまではほとんど不可能だ。
テープかビデオ撮りになるだろう。
これは吾んの担当だが、これもあぶない。

夕方、笠井俊也さん宅へ。
名瀬市役所の建設部長・川上サンと、係長・伊集院サンが区画整理の説明・交渉のため初めて来訪とのことで、戸内さん、進さんとともに同席。
第一ラウンド、一時間勝負は、まぁ、こちらの判定勝ちか。
夜、向原さんと、「寺子屋塾」の親里清孝アニさん宅へ。
「奄美共同印刷」代表の前平さんも合流。
深夜まで。
向原さんも我が家へ寄宿。

今日11日は、朝から夜まで店番。
一日、一冊。
『日本文化の源流を求めて』(金達寿&谷川健一・1975年・筑摩書房・1200円)。
これは、数年前、樟陰女子短期大学教授の関根賢司さんが奈良から静岡大学へ引越すために、「南島」から手伝いに行ったとき、「阪急古書の町」の中尾松泉堂書店で購入した。
沖縄「ブックスじのん」店長の天久斉さん、京都の四条畷学園講師の末次智さんと三人の最強の引越し軍団で上阪しての帰りだった。
あの時、宿泊させてもらったた「海風社」代表のの作井満さんは、ちょうど去年の今頃(03年4月4日、05時19分)、やはりすい臓がんで旅立ったのだった。
次はワンの番か。

一読、日本の源流は朝鮮か?南島か?
それより以前に、朝鮮の源流は?南島の源流は?
大陸と華南や東南アジアだろう。
では、奄美大島の吾んの源流は?
ナゼのサデクマとカサンのトモリ。
それは、南九州とインドネシアとイギリスにつながる。
それは、また、あの世のあちらこちらにつながる。
結局、吾きゃぁの源流は、地球の光と海と風だ。
光・海・風は、太陽系や銀河系の宇宙につながる。
はて、これまで半世紀、生きてきたが、こんなコタエしかでてこない。
でも、それでいいのだ。
いずれ、いのちの源流にみんな還流していくのだから。
いのちのリサイクルをつないでいく。

2004年5月3日(つき、旧3月15日・大安・梅雨入り平年日、大島はまだ)
こぉーれぃー!
一年ぶりじゃがぁ
むどぅてぃ
きょうたっとぉ!

わんやぁ、生きちゅりょっとぉ!
なまらがや、余りぬ、いぬち
たげに、はめてぃけぃてぃ、ゆるくび、しんしょろぉやぁ!

森本眞一郎、、一年ぶりの店頭顔見世です。
土、日を除いて、これからは毎日、あまみ庵の番台にいます。
あすびがいもりんしょうれぃよぉ〜・。

メールだか大歓迎だりょん!
まっちゅりょっとぉ!