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『しまぬゆ1 1609年、奄美・琉球侵略』
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図書出版南方新社
〒892-0873 鹿児島市下田町292-1
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【2009年、奄美・琉球侵略四百周年を迎える。】
1.はじめに
1609年、幕府の内諾を得た薩摩島津武士団は、奄美・琉球を侵略しました。これを境に、琉球は日華両属を余儀なくされ、奄美は薩摩島津氏の植民地支配を受けることになります。
江戸期の黒糖搾取。明治期も状況はさして変わらず、戦後は日米のやったり取ったりの地になってしまいました。1609年が今の日本につながっているのです。今、癒しの島などと称され、日本にとって有数の観光地になっていますが、島の人々にとって、この1609年は忘れがたい年であり、その思いは複雑で容易に語り尽くせるものではありません。
来る2009年は、侵略から四百周年、大きな歴史的な節目を迎えます。今、奄美大島に生まれた刊行委員会が、侵略四百周年を目前にして、シマ島から過去と未来を探るためのシリーズ企画に着手しました。
この四月、産声を上げた創刊号は、『しまぬゆ1―1609年、奄美・琉球侵略』。刊行委員会のメンバーの義富弘氏が、奄美・琉球の古代史から1609年までの通史をまとめ上げています。
これまでの史書では、日本書紀や続日本紀の記述から、南島の住民が大和朝廷に朝貢したり、朝廷から位を授けられるなど、大和朝廷と接触することによって南島の人々もようやく文明の恩恵を受けたとされてきました。これは大和王朝に近ければ近いほど文化的で、遠ければ遠いほど野蛮だとする中華思想や皇国史観的な見方でしかありません。
例えば、『大奄美史』(昇曙夢)では、「大宰府では南島を能満、益救の二郡にわかち、島司を置いて島々を統治せしめた。それ以来南島は従来の植民地的地位を脱して純然たる日本の領土となった」と記しています。しかし、律令制下ではそのような事実がないことを、筆者ははっきりと指摘します。
逆に、南島人の九州襲撃に筆者は注目します。997年「筑前・筑後・薩摩・壱岐・対馬の人を殺害し、あるいは放火して人と物を掠奪した。当国人で虜掠された者すでに三百人に及ぶ。先年も奄美嶋人が来て、大隅国人民四百人を連れ去った」『小右記』。1020年、「南蛮賊徒薩摩国に到り、虜掠人民などの由也」『左經記』という記述です。
当時、徳之島でカムイヤキという陶器が大量に生産され、広く琉球一円から南九州まで流通したことが、最近明らかになっています。大量の人員を略奪したのは生産に関わる労働力や、船を漕ぐ水夫として必要だったからではないかと筆者は推測します。
このように、南島に基軸を置いて、新しく組み上げた通史となっています。
また、島津武士団が侵略した背景や、1609年の奄美大島、徳之島、沖永良部島、沖縄各地の戦闘状況なども、きわめて本格的な論稿として一般に提示されるものです。
ご紹介頂ければ幸いです。
2.概要
タイトル:『しまぬゆ1―1609年、奄美・琉球侵略』
編 者:「しまぬゆ」刊行委員会編(親里清孝、薗 博明、新元博文、森本眞一郎、
義 富弘、故藤井勇夫)
仕 様:A5判、204ページ
定 価:2100円(本体2000円+税)
発行日 :2007年4月15日
発行部数:2000部
発 行:図書出版南方新社
3.内容(目次から)
・巻頭言 山下欣一(鹿児島国際大学名誉教授)
・特別企画 義 富弘(本誌編集委員)
「1609年、奄美・琉球侵略」
1南島と大和
2琉球王国
3奄美・琉球侵略の背景
4奄美・琉球侵略経過
5戦後処理
4.執筆者紹介
山下欣一(やました・きんいち)
1929年名瀬市生まれ。鹿児島国際大学名誉教授。早稲田大学法学部中退。文学博士。著書に『奄美のシャーマニズム』『奄美説話の研究』『』
義 富広(よし・とみひろ)
1952年瀬戸内町生まれ。郷土史家。運輸省海技大学校本科機関科卒。73年より機関士および運航士として各船に乗船。89年退社。郷土誌「しまがたれ」を主宰。著書に『岬の春』(私家版)、『奄美夜話』(南方新社)、『奄美学』(南方新社・共著)など。
5.発売
2007年4月中旬 全国主要書店
6.お問い合わせ
・図書出版南方新社/担当 向原
〒892-0873 鹿児島市下田町292-1 tel099-248-5455 fax099-248-5457
・刊行委員会/森本眞一郎
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