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平成以降に、アナログメディアに書いてきた分を収めています。 その他もれてるものも随時補充していきます。 更新は少ないかと思いますが、バックナンバーを読まれた感想などもお寄せください。 2001年は、地元紙・「南海日々新聞」の「リレーエッセー・つむぎ随筆21」に1年間(8回)連載の予定です。 |
「つむぎ随筆」九月十八日付け
森本眞一郎
[丸坊主]
「カミは長〜い友だち!」
気になる広告があったが、古来、かまち(頭髪)は神=ひじゃま(霊魂)のよりしろ
で、髪を結うことは魂を結びこめる重要な意味があった。
明治の断髪令後、日清戦争の兵士らが丸刈りにされた。軍国主義とともに学
校に浸透した。カミ刈りはヒトの煩悩をたち、日の丸や君が代に滅私奉公する隷
従のシンボルとなった。しかし、今の学校は兵隊の養成所ではない。性悪説に
たつ丸刈り強制には法的な拘束力もない。
「名瀬市内中学生の頭髪の自由化を考える会」に中一の丸坊主と出席し、吾んも
稀々考えた。
保守大国、鹿児島県の二百七十四の中学校では、百七十一校がカマチを自由化
している。丸刈りは選択肢のひとつだが、奄美では龍北中の一校だけだ。
一方、丸刈りの強制校は百三校もあって、奄美では五十八校も。県の七lの人口
の奄美が半数以上だ。残りの四十五校も県南部の地域に集中。バリカン刈りのハ
ゲ山も哀れだが、奄美は丸刈りでも「特別措置区」か。沖縄県では自由校ばかりと
いう。自由化は学校長の判断ひとつだ。問題は、皇民化教育の遺制を今世紀も黙認
している、奄美の住民と学校側の人権意識だろう。
一九八一年の熊本県玉東中学校の丸刈り訴訟(敗訴)は、判決の内容が重要だ。
丸刈りは「中学生にふさわしいとはいえず」「スポーツに最適ともいえず」「非行の防
止も断定できず」「清潔が保てるわけでもない」と、学校側の「メリット」は「合理的・実
証的な根拠に乏しい」事が法的に厳しく否定された。
一九九四年に国連の「子どもの権利条約」が批准され、「子どもの意見表明の自由」
が認定された。これを受けて一九九六年、県弁護士会は伊仙中学校長に「丸刈りの
規制と指導は憲法・子どもの権利条約・教育基本法のいずれにも抵触し、子どもの基
本的人権を著しく侵害するのですみやかに廃止するよう」勧告している。「地域社会の
伝統や意向」という概念も、「合理性がない」と否定された。
奄美の生徒や父母・先生たちは、小学・高校もふくめて「だれのための校則か?」「権
利と責任」を検証し、「子どもの権利」の側からとらえなおしたい。
「他人の権利」にはあまり頓着がない、吾ん自身のカマチの自由化から始めたい。たか
が丸刈り……されど丸刈りだ。
(校了)
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